会社概要

長い歴史の中で
先取の精神とチャレンジ精神を
培ってきました。

浅田屋の歴史は、1659年(萬治2年)までさかのぼることができます。萬治2年は関ケ原の戦いから、わずかに50有余年が過ぎたばかりであり、三代目加賀藩主、前田利常が死去した翌年にあたります。
この年、初代伊兵衛が加賀藩より中荷物の御用を命ぜられました。これが浅田屋の江戸三度飛脚の創始です。その後、江戸詰め飛脚頭取を務めたり、幾多の変遷はありましたが、明治維新まで約200年間、代々江戸三度飛脚を拝命したと伝えられています。
そして1867年(慶応3年)、中荷物御用を返上して旅館経営を始め、今日の浅田屋の原型を形成しました。
大きな転機を迎えたのは1964年(昭和39年)、金沢市広坂に料亭「加賀石亭」を開業したことでしょう。旧来の旅館専業の枠にとどまることなく、未知の飲食業に進出したのです。しかも、当時東京で広まり始めたばかりのしゃぶしゃぶをいち早く導入し、人気を得て「加賀石亭」の名は一気に広がっていったのです。
その後、「六角堂」「松魚亭」など金沢にはなかったコンセプトの店を次々と出店。1995年(平成7年)には、振興著しい金沢市南部地区の拠点として金沢国際ホテルを取得し、ホテル業へも進出しました。このように、先取の精神とリスクを恐れないチャレンジ精神が浅田屋の歴史には息づいています。

会社沿革

1659年
(萬治2年)
初代浅田伊兵衛、加賀薄中荷物御用を拝命。
五人扶持・名字帯刀を許される。
1867年
(慶応3年)
浅田庄平、中荷物御用を返上し、金沢十間町(現在地)に旅籠「淺田」を開業。
1868年
(明治元年)
旅籠を改め、正式に旅館業を創業。
1930年
(昭和5年)
浅田屋に改称。浅田勝次、旅館の4代目を継承。
1960年
(昭和35年)
経営体を資本金300万円の株式会社浅田商事に改組。尾山町に「富士ホテル」を開業。
(昭和42年に譲渡)
1962年
(昭和37年)
長町に旅館「加賀乃井」を開業。(昭和43年に譲渡)
1964年
(昭和39年)
広坂1-9-23に料亭「加賀石亭」を開業。
1968年
(昭和43年)
東山1-38-28に中華料理レストラン
「ホワイトハウス」を開業。
1971年
(昭和46年)
東京都港区赤坂に料亭「浅田」を開業。
浅田グループに改組し、浅田裕久が社長に就任。
1973年
(昭和48年)
東山1-38-28に「パークホテル」を、東山1-38-27に「ステーキ六角堂」を開業。
片町2-2-15に「焼肉レストランお寺」を開業。
(昭和52年10月「徳大寺」に改称)
1977年
(昭和52年)
浅田屋改築、金沢の宿として再開。
片町北国ビル屋上に「サントリー ビアレストラン」を開業。
片町2-5-8に「加賀石亭・六角堂片町店」を開業。
1978年
(昭和53年)
「徳大寺」を改装し、「三十間長屋」を開業。
1981年
(昭和56年)
片町・イズミビル2Fに和洋膳所「ジョン万次郎」を開業。
1982年
(昭和57年)
「ジョン万次郎」を改装し、「三十間長屋柿の木畠店」を開業。
「ホワイトハウス」を閉鎖し、「活魚料理松魚亭」を開業。
1984年
(昭和59年)
片町・北国ビル地階に「ヤキニクルーム徳大寺」を開業。
1985年
(昭和60年)
浅田グループを「株式会社浅田屋」に改組。
食品事業部、製造・営業を開始。
1988年
(昭和63年)
東京・港区赤坂の料亭「浅田」を分離独立し、
「浅田屋伊兵衛商店株式会社」が別法人となる。
1990年
(平成2年)
食品事業部、金沢市南塚58に移転。
1992年
(平成4年)
各種保険代理店業を株式会社浅田屋より分離し、
「株式会社アサダコーポレーション」を設立。
1995年
(平成7年)
片町1-4-18に「カプリチョーザ金沢竪町店」を開業。
西洋環境開発より「金沢国際ホテル」を買収、開業。
1996年
(平成8年)
金沢国際ホテルの全舘リニューアルオープン、ホテル最上階に「浅田屋高尾店」開業。
「高尾ガーデンチャペル」新設。
「N-36.5」開業。金沢国際ホテルクランドオープン。
1998年
(平成10年)
金沢国際ホテルに神殿「白山殿」御造営。
2002年
(平成14年)
ひがし茶屋街に「螢屋」を開業。
2004年
(平成16年)
大阪梅田 阪急うめだ百貨店に惣菜店(アサダヤコポレーション)オープン。
2005年
(平成17年)
「六角堂せせらぎ通り店」を開業。
2008年
(平成19年)
金沢国際ホテル1階にファーマーズキッチン「セロリ」を開業。
2011年
(平成23年)
金沢国際ホテル 結婚式場チャペルを「水と光の教会」にリニューアルオープン。
2012年
(平成24年)
浅田久太が社長に就任。
2014年
(平成26年)
「金沢国際ホテル」を呉竹荘に譲渡。